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デニスコーネル・インタビュー
1.

パーフェクトアンプに出会えた瞬間。それは、トグルスイッチをはじいた途端(もしくは昔のチキンヘッドのノブを回した途端)に、日常のわずらわしさが消えてなくなり、時間さえ止まってしまう空間へ飛んでゆく。日々の喧噪は静かな沈黙へとかわり、心の内なる音楽が自然にとめどなく流れ出す。それは、ギターをそっと置いたとき、ほんの一瞬のできごとのように思える。ゆっくりとすわり直し、パーフェクトアンプの宝石のようなパイロットライトに秘められた明るい輝きが約束してくれるすべての瞬間に思いを馳せる。そして、「またあの瞬間へ戻れるのだろうか?」とふと不安がよぎる。そう、あなたは何度でもその瞬間へワープすることができる。それはあなたがパーフェクトアンプに出会ったからだ。

もし毎日つきまとう腹立たしい問題を打ち破ってくれるようなアンプがあるとすれば、それは魔法とかインスピレーションと言えるだろう。魔法以外の何者でもないと言えるようなそんな特別でめずらしいアンプを、どうして見過ごすことができるだろう。それを作り出す人間とはいっだいどんな人たちなのだろう。彼らのなしえた仕事から得られたインスピレーションは、偶然の賜物か何かなのだろうか?
科学、芸術、そして器用なクラフトマンシップ、そういったエッセンスを少しずつ取り入れたアンプには、製作者の足跡を垣間見るような、独自の外観や個性的なサウンドをもっている。
本当に優れたアンプというのは、使い手の能力を最大限に生かしてくれる。
完璧な技術が凝縮したアンプにおける神秘的ともいえる部品の配列は、決して偶然のたまものではないが、その業にはほんの少し魔力が存在しているのかもしれない。
そういった技は、そっくりそのままコピーして作ることができるだろうが、レプリカと言われるものには、しばしばその魔力がかけているように思える。今回、ここに魔法のアンプを作り出すデニス・コーネル(Denis Cornell)を紹介できることを光栄に思う。
デニスの世界をどうか堪能してほしい。

TQR:最初はどのようなことがきっかけでギター・アンプに魅了され、手がけてゆくようになったのですか?
僕は、1949年にイングランドで生まれ、60年代にティーンエイジャーを過ごしたから、ローリングストーンズやビートルズなど、とにかくその時代のイギリス音楽にはとっても影響を受けている。僕が14歳のころは、学校では秀才かスポーツ万能でないかぎり、人気者になる唯一のチャンスは、ギターを持っていることだった。ほとんどのやつらがギターを持っていたね。弾けなくても関係なかった。ただ雑音をかき鳴らしてさえいればよかったんだ。僕にとってもそれは簡単に人気者になるチャンスに思えたが、残念ながらクラスで30人のうち20人は同じ考えだったようだ。だから、しかたなく少し時間をかけてコードを勉強した。最初に弾いた曲は、“スウィーツ・フォ−・マイスウィーツ”(Sweets for My Sweets)だった。そう、CとFとGしか使わないからね。それを一晩に50回は弾いたと思う。でも、Gを正しく弾けたのは、練習も二週目に入ってからだった。初めは皆こうだったし、今でもみんなこうして練習を始めるのだけど、そのことをつい忘れがちだよね。
そしてまもなく友達ふたりと最初のバンドを結成し、すぐにアンプが必要になった。僕は、食料品店でバイトしていたので、12ポンド貯めて最初の中古アンプを買うのに半年もかかった。(当時の14歳の生活はこんなものさ)そのアンプは、ワトキンス・ウエストミニスター15W(Watkins Westminster 15 Watt)だった。僕はそのご自慢の木の箱が突然生きているみたいに感じたのを覚えている。そのアンプは、今までとまったく違った音をだした。それからまもなく、僕はアンプの後ろを外して、外付スピーカーを取り付けた。僕は、父の持っていた古いラジオを使って演奏することもあった。それは5つのスピーカーがついた昔のチューブセットだった。偶然フォノインプット(Phono Input)を見つけたので、そこにギターをつないでみたんだ。それがうまくいったときには、躍り上がったね。それほど大きな音ではなかったが、ちょっとゲインしたサウンドだった。それで友達と一緒にさらなる騒音を奏でる練習をしたんだ。
僕のアンプに外付スピーカーを取り付けたら、まったく違うサウンドになった。それからラジオにもちょっと手を加えた。こういったことが、僕がアンプにとりつかれた第一歩だったのだと思う。
そのころの僕は、今とは比べ物にならないような雑音を奏でるアンプで、初期のビートルズなんかを演奏すると、まるでスーパースターにでもなったような気分だった。
TQR:エレクトロニクスの知識については、専門的に勉強をされたのですか?それとも偉大なる恩師がいらっしゃるとか?
学校を出てから、エレクトロニクス専門課程の勉強をはじめた。最初の何年かは、とってもつらいことが多かったんだ。長い間寝たきりだった母親を癌でなくしたからね。学校から帰っても誰も僕の面倒をみてくれる人がいなかったのは本当につらい思い出だよ。僕は専門課程の間ずっとそんなつらい思いを抱えていて、何か救いがほしいと思っていた。
仕事場の上司が、僕のつらい立場を知っていて、いろいろ助けてくれた。
僕らはよくギターを一緒に弾いたんだ。彼が主旋律を引いて、僕がリズムを弾いた。当時の僕にはよく分かっていながったが、彼がいなかったら今の僕はなかったと思う。
ブライアン・ローレンス(Brian Lawrence)に心から感謝している。だから、ブライアンが僕の最初の恩師かな。僕の二人目の恩師は、サウンド・シティ・アンプ(Sound City Amp)のデザインを担当していたブライアン・ハッカー(Brian Hucker)だ。彼は典型的な、RAFで訓練をうけたエンジニアだった。僕らは、サウンド・シティ・アンプの近年のモデルのデザインをすべて手がけた。そのころは知らなかったのだが、僕らは、デイブ・リーブス(Dave Reeves)がハイワット(Hiwatt)というアンプに用いた技術を踏襲していたんだ。最後のひとりは、ヴォックス(VOX)の創設者であるトム・ジェニングス(Tom Jennings)で、僕が彼にいだいていた尊敬の念は、技術的な能力ではなく、とにかくどんな商品をどうすれば売れるかという知識や才能だった。彼は、サウンド・シティ・アンプの仕事をしても、ヴォックス再建にはつながらないと主張した。そして僕は、ヴォックスアンプ専属の技術マネージャーになり、ヴォックスアンプの仕事だけをした。今でも強く印象にのこっていることは、トムと僕は、まったく違った分野のプロであったこと、だから、それぞれが違った角度からものを見ることができた。僕は、ヴォックスアンプの技術的な側面に関心があったのに対し、彼は外観的な美しさについて関心があった。例えば、僕がもう少し品質の高いレジスターを使いたいと言ったときも、彼は会社からコストを削減して競合力のある製品を作れというプレッシャーを受けていたために反対した。そして、それが外観やアンプの将来性を改善するような変更ならば投資する価値があると言った。彼は、外観に1ポンド費やすことはまったく躊躇しなかったが、レジスターに1セント費やすことには強く抗議した。
技術者はいつも、ついコンポーネントに没頭し、商品を売るにはまずそれ自体の最初の印象が大事だということを忘れがちだということを知ったよ。彼の言葉でもうひとつ忘れられないのは、”1インチあげて、1インチ内側へ“と言ったことだ。これは、ヴォックスのAC/30キャビネットにつけたロゴマークの位置のことを言っている。トムの誇りであるヴォックスアンプへの細かいこだわりや完璧主義は、いつも技術的な知識というものが、商品を売るためには、ほんの一部の助けにしかならないんだということを思い出させてくれた。

TQR:本格的に取り組んだ最初の仕事はどんなものだったのでしょうか?

専門課程が終わった翌日、新聞の求人欄にハイパワーアンプのエンジニア募集という広告が出ていた。僕はそのころまだギターを弾いていたし、プラクティカル・エレクトロニクス(Practical Electronics)という雑誌のギタープロジェクトの製作にかなりの時間を費やした経験があったので、この求人に応募せずにはいられなかった。まぁ、最初の面接はうまく言ったとは言いがたいものだったよ。なぜかと言うと、最低条件として大学卒ということがあったし、チューブ技術に関する質問をされても、当時の僕の知識では十分答えられなかった。これは、ダラス・ミュージカル・インスツールメント(Dallas Musical Instruments)という会社だった。彼らはギターアンプを製作していて、僕がギターを演奏することは好ましく思ってくれた。それに、僕はカレッジのプロジェクトでシティアンドギルド(City and Guild)の資格をとるために、チューブアンプを製作したことがあり、それも幸いした。しかし、何よりも一番ラッキーだったのは、ブライアン・ハッカー(Brian Hucker)の名前だ。面接官は、僕にややこしい質問をしているうちに、僕のカレッジでの恩師がブライアンだと知ることになったんだ。時にはどんな豊富な知識より、誰と懇意かということの方が大事なこともある。
そして、僕は運良く職を得た。ブライアンはいろんなことを教えてくれたよ。
20代前半だけだったが、デザインや商品開発に専念していたことは、僕にとって大きな挑戦だった。今でもそのころの友人とは付き合いがあるし、とっても楽しい思い出ばかりだ。
TQR:若いころどのようにしてキャリアを磨いていたのですか?
ダラス・ミュージカル・インスツールメント(Dallas Musical Instruments)とダラス・アービター(Dallas Arbiter)はそのころ業務を拡大していた。
サウンド・シティ(Sound City)、フェンダー(Fender)、ヴォックス(Vox)といったブランドをもっていた。その中で僕は重要な存在となって行った。それはデザインチームの一員としてだけではなく、僕が実際アンプを通して演奏されるギターサウンドと図面における回路との間にどのようなつながりがあるかということを理解する耳を持っていたことが大事だったんだ。しかしながら、1977年に僕は過剰人員となっていった。僕は、仕事が必要だったし、確かに仕事はいくつかあった。でもどれも自分のハートに響くようなものではなかった。そのころ、初めてMODの英国安全基準を取り扱った。そこで僕は、そのMODための防衛機器を作っている会社に求職した。そこは、僕がエレクトロニクスの専門課程を学んだパイ・グループ(Pye Group)の一部だった。そこでの仕事は楽しかったけれど、十分に稼げなかったことにフラストレーションを感じていた。独立して、音楽ビジネスで食べて行くということが僕のゴールだったからだ。楽器店やローカルバンドのために修理なんかもしていたが、それでは独立するための十分な保証金を稼げなかった。
そうこうしているうちに、アービター(Arbiter)はシービーエス・アービター(CBS Arbiter)になっていて、ブライアン・ハッカーは、フェンダーアンプの修理部門に戻らないかと誘いをうけていた。彼が僕に一緒にやらないかと声をかけてくれたときは本当にうれしかったね。それから共同契約を結んで、彼と一緒に修理の仕事をすることになった。シービーエス・アービターの仕事は週に1回だけだったので、僕らはロンドンの会社で週に2日、アンプやキーボード、エフェクタなどの修理をしていた。
しかし、80年代後半の不景気な時期に、修理担当は一人で十分ということになってしまい、僕はブライアンの元を去って別の仕事を探す羽目になった。これが僕の人生で2度目の失業だった。 今まで僕に仕事をくれていた連中は、不況でことごとく店を閉めていた。そのころ、シービーエスはフェンダーを売り、新フェンダーとしてしばらくの間、ビル・シュルツ(Bill Shultz)によって経営されていたが、当時イギリスではちっともアンプが売れなかった。 ブライアンは、大きい楽器店で働き、修理の仕事をしていた。そのころ、僕は特別なアンプがほしいと言う人のために、カスタムアンプを製作するという仕事を始めたばかりだった。まだ家計をやりくりするために、修理の仕事や、週に2〜3回はバンドでギターを弾いていた。アービターが新しいフェンダーアンプを出荷し始めたころ、僕に独立して修理やサービスの仕事をしないかと声がかかった。僕は今日に至るまでまだその仕事をしている。今ではほとんどコンサルタントベースになっているが、フェンダーヨーロッパや、フェンダーの姉妹店と一緒に仕事をしているんだ。
TQR:あなたが知っているすべてのビンテージアンプの中で、技術者およびプレイヤーとしてどれが一番気に入っていますか?

サウンドでは、初期のヴォックス(VOX)、マーシャル(Marshall)そしてフェンダー(Fender)が最高のアンプだね。これらはそれぞれみな違うサウンドだけど、それぞれ完璧な音をだすよ。それは、フェンダーのストラトと、ギブソンのレスポールを両方もっているような感じかな。それぞれ一本づつ持っていれば、実に幅ひろいトーンで、創造力に満ち溢れた、さまざまなタイプの音楽を作り出せるだろう。
今日における優れたアンプというのはおそらく、昔のヴォックス(VOX)、マーシャル(Marshall)そしてフェンダー(Fender)といったアンプをカバーするような広域のトーンを作り出すようなアンプを言うのだと思う。
しかし、これらの3つのアンプは、デザインもトーンも違いすぎて、ひとつのアンプに集約することなど不可能だ。
製作面では、ハイワット(Hiwatt)はこの分野をリードするアンプだが、ワイヤリングの高い技術力では、このアンプの製作者であるハリー・ジョイス(Harry Joyce)の右にでるものはいないと思う。
僕は、彼に電話をするとやたら長話しをしてしまうんだが、そのことをハリーを知っている人に話すと誰もが、ニヤッて笑うんだ。(これはハリーを知らないとわからないね。)

もし、僕がベストアンプを選ばなければならないとしたら、それはAC/30だと思う。それは、クラシックトーンをだす、非常によくできたアンプで、丈夫につくられていた。
トムがどれほどそれに精魂を費やしたか知っているので、たぶん僕は多少肩入れしているところはあるだろうが。
トムが亡くなって以来、市場に粗悪なレプリカが出回っているのは悲しいことだ。僕も自分自身で、AC/30を製作してみたが、あまりにもたくさんの部品を使っていて、大量生産しないかぎり、費用が莫大になってしまい、価値がなくなってしまう。

TQR: 誰か著名なアーティストと一緒にサウンドを作り上げたような機会はありましたか?

サウンド・シティやヴォックスで働いていたとき、トップアーティストのプロジェクトに参加する機会がたくさんあった。しかし、僕は「裏方」的存在で、彼らに直接会うことはなかった。初めて直接話をしたのは、アージェント(Argent)というバンドだった。彼らは、サウンド・シティ120(Sound City 120)を使っていて、その迫力やサウンドが、昔の100Wのアンプほどよくないと文句を言っていた。だから、そのギタリストを、防音室に連れて行って、A/Bのテストをしたみた。結果は実に、古いサウンドシティハイワットタイプ100(Sound City Hiwatt-type 100)のほうが、120Wのアンプより大きい音がでたのだ。問題は単純なことだった。 出力回路のフィードバックが多すぎたのだ。
100Wの方が感度が低いので、やたら大きい音をだしている印象があったようだ。いくつかの部品を取り替えることでゲインを増やし、個人的なサウンドに味付けして、問題は解決した。彼がひどく感動したのをみて、やはり技術者とアーティストが直接話し合うことがとても重要で、それこそが最高のトーンを作り出す近道なんだとわかった。
僕たちは、当時にはめずらしいことだったのだが、スレービングといったこともやった。基本的には、マザーアンプというものを決めて、そこから6台もしくはそれ以上のアンプを子機としてつなげて音をだす。僕らは、ステイタス・クオ(Status Quo)というバンドのために7台のAC30をつなげ、1台が残りの6台をコントロールするようにセットした。

僕はずいぶん長い間、メジャーなアーティストのために独自のアンプを製作ことはなかった。1991年に、ドクター・フィール・グッド(Dr Feel Good)のリー・ブリロウ(Lee Brilleaux)のために作ったのが最初だ。彼はギターも少し弾いたが、ハーモニカがメインだった。ハーモニカは、マイクを通した音がアンプで増幅されるので、トーンがまったく違うため、アンプを調整するのが難しかった。ほんのわずかな低・高周波によって、イコライザがミドルレンジに反応してしまう。楽器の感触を得ることは、サウンドの感触を得ることだと思う。僕はハーモニカを吹かないので、これがちょっとばかり難しかったんだ。最終的にはうまくいき、彼らが地元でやったライブで、ドラム台に載せられたそのアンプをみたとき、とても誇らしい気持ちになったよ。
僕の理想的な仕事は、誰か個人のためのサウンドを作り上げることだ。そしてそれは最高のアンプをつくりあげることでもある。たぶんそれは、つるしのスーツを買うのではなく、仕立屋さんに頼んでお誂えのスーツを仕立てるようなものじゃないかな。
僕にとって、もっとも満ち足りる瞬間というのは、誰かが音を高めるためのアイデアをもって来たり、特別なサウンドを作り上げるためのインスピレーションやアドバイスを求めてきたりするときだ。一緒になって、それぞれ個人のトーンを作り上げ、顧客にとって最高のアンプを作ることを切望している。アンプに組み込まれているいくつかの主だった部品とたくさんの細かな部品が独自のトーンを作り上げている。典型的な例として、フェンダー・ベースマン(Fender Bassman)とマーシャル・プレキシ(Marshal Plexi)はよく知られていると思う。サーキットに大した違いはないが、トーンはまったく別のものだ。ほんのわずかなコンポーネントの違いが大きな違いに至っている。それは、トーンスタックにおけるミドルのレスポンスであったり、スピーカーであったり、出力チューブの違いであったり、バイアス設定の違いであることもある。トーンは、わずかなメイン部品によって作り上げられる。そして次のステップは、どのようにしてこの部品から違ったトーンを作り出すかである。カスタムワークでの経験がWEBで販売している僕のアンプの中に生かされている。僕は、最高品質のアンプを製作することだけに興味があるんだ。僕は、マーケティングがあまりうまくないし、広告もあまり出さない。僕のアンプは、一般的なイギリスのサラリーマンが購入するには、少々高価な傾向にあるが、アンプの量産をしてコストをさげるつもりはない。

TQR:最近のデジタルモデリングアンプについでどう思われますか?
技術的な見解からすると、最新のモデリングアンプは僕の理解を超えている。僕は、デジタル技術にはあまり意欲を掻き立てられるようなことはないし、サウンドにリアル感がないような気がする。スタジオであればいいだろうが、それは何だか本物のアンプではなく、おもちゃのような感じだね。
TQR:よくミリタリースペックという言葉を耳にします。例えば、デイブ・リーブス(Dave Reeves)のハイワット(Hiwatt)で、ハリー・ジョイス(Harry Joyce)が製作したアンプにはミリタリースペックが使われているとか。それらは、詳細なクラフトマンシップのめずらしい例なのでしょうが、ミリタリースペックについてもうすこし分かりやすく教えていただけますか?
ミリタリースペックについては、誇大視されすぎているように思う。MOD(Ministry of Defence)スペックに関連していたことがあるので、知っていることを少し話そう。
僕は、国防省へシステムを導入している機関で仕事をしたことがある。(別に話しても問題ないとは思うが、一応機密保持の義務があるから内容は話せないんだ)それは、検査工程と部品仕様に関する厳格な制度なんだ。システムやユニットに搭載されているすべての部品には、仕様番号(DEF 123といったような)がついている。それぞれの部品に独自の番号が振られていて、それらの番号は、システムやユニットの一部として使用可能であることを承認している証だ。システムやユニットを組み立てるとき、MODの検査官立会いのもとで検査を行い、検査官は工程を目視で検閲する。その時点での検査官の承認印は、工程のためだけのもので、システムの大きさによって彼らは何度でもやって来る。やっとシステムが完成し、テストが終了すると、MODの検査官が再検査をする。そうしてやっとその商品にMODの承認がもらえるというわけだ。レジスターやトランジスターといった部品は、ボードにマウントされている。こういった部品は、タレットにまいてから半田付けするのだが、場合によっては、半田付けをする前にボードに載せるてみる。そして、そのボードは、絶縁保護コーティングし、すべての部品を湿気や振動から保護する。現在アンプを製作するのに、DEF番号の付いた部品だけを使うのは事実上不可能だ。なぜなら、ギターアンプに使用する多くの部品は、軍で使われるために製造されたものではないからなんだ。
これらの工程がもはや国内向けアンプに適用できないとしても、その技術や手順が実際の製作に応用されているということだ。僕はそれを実践している。

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